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最高裁判所第三小法廷 昭和53年(オ)216号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

一  昭和五三年(オ)第二一五号上告代理人高橋融の上告理由について

1  原審は、(1) 上告人は、株式会社富士建匠(以下「富士建匠」という。)の代表取締役であつた、(2) 被上告人は、富士建匠に対し同会社と昭和四二年七月二〇日に締結した工事請負契約の報酬金残額三四一万円及び同月二五日に締結した追加工事請負契約の報酬金二〇万円、合計三六一万円の債権を有していた、(3) 被上告人は富士建匠に対する訴外玉工事株式会社(以下「玉工事」という。)の債務二九〇万円につき連帯保証をしていたので、同債務と被上告人の富士建匠に対する前記工事報酬金債権とが対当額で相殺された結果、被上告人の富士建匠に対する債権は七一万円の限度で残存していた、(4) 富士建匠は、その下請関係にある玉工事に対しかねてから継続的に資金の貸付を行つており、玉工事が倒産した昭和四二年八月三一日以後もその職方や取引業者に対し立替払をしたが、右貸付金等の債権の回収不能が原因となつて富士建匠自身も同年一〇月二〇日倒産するに至つた、(5) 富士建匠の倒産の危険が顕在化したのは、早くとも同年九月初めころである、(6) 玉工事が倒産した時点において、富士建匠の玉工事に対する貸付額は一〇三二万七二六四円であり、同会社の玉工事に対する工事発注額は六八四万〇二〇六円であつた、等の事実を認定し、これらの事実に基づき、富士建匠の玉工事に対する右貸付は放漫であつたとのそしりを免れず、当時大阪万国博覧会工事のため職人が払底して玉工事に代わる下請工事人を見つけることが困難であつたとの事情を考慮にいれても、上告人の代表取締役としての放漫貸付についての責任が免責されるものではないと判断し、商法二六六条ノ三第一項に基づく損害賠償として、被上告人の上告人に対する本訴請求を七一万円とこれに対する昭和四二年九月一日以降完済に至るまで年六分の割合による遅延損害金の限度で認容した。

2  しかしながら、原判決の挙示する乙第二八号証の四、五、第一五四号証の三、四及び原審における上告人の供述等に徴すると、玉工事の倒産時(昭和四二年八月三一日)における同会社に対する富士建匠の貸付額及び工事発注額として原判決の判示する金額はいずれも同年九月三〇日当時におけるそれであつて、右倒産時における貸付額は七三三万五五七四円であることがうかがわれる。そうすると、前記1の(6)の事実の認定は、証拠に基づかないでされたものといわなければならない。

3  次に、商法二六六条ノ三第一項前段の規定は、株式会社の取締役が悪意又は重大な過失により会社に対する義務に違反し第三者に損害を被らせたときは、当該取締役は、右任務懈怠の行為と相当因果関係のある損害を直接第三者に賠償する責めに任ずべきことを定めたもの、と解すべきであるから(最高裁昭和三九年(オ)第一一七五号同四四年一一月二六日大法廷判決・民集二三巻一一号二一五〇頁参照)、本件において、富士建匠の代表取締役であつた上告人が被上告人に対し右条項による損害賠償責任を負わなければならないとするためには、上告人が、玉工事の返済不能により自社の資産状態を極度に悪化させるに至るべきことを予見し又は予見し得たにもかかわらず、悪意ないし重大な過失により玉工事への貸付をその後も漫然継続させた結果富士建匠を倒産するに至らせ、そのために富士建匠の債権者である被上告人に対する弁済を不能にし、被上告人に損害を被らせたことを要するものというべきである。そうすると、原審が、玉工事の返済不能が予見され又は予見されうべき状態に至つた時期、その後における貸付の有無及びその額等について確定することなく、単に玉工事の倒産時における富士建匠の貸付額と玉工事に対する工事発注額とを対比し貸付超過のある事実のみをとらえて放漫貸付であるとし、上告人には商法二六六条ノ三第一項前段の責めがあると断定したことは、とりもなおさず、同条項の解釈適用を誤つたものにほかならない(もつとも、富士建匠は玉工事の倒産後も立替払等の方法により同会社への貸付を継続していたというのであるから、少なくとも右倒産後の貸付は、玉工事になお弁済能力があると信ずるにつき首肯しうべき特段の事情があるのでない限り、不当貸付にあたるものという余地があろうが、原審は、この具体的な貸付額等について確定したうえで上告人の責任を問擬しているものとみられない。)。

4  以上の次第であるから、原審は、採証法則を誤り、かつ、商法二六六条ノ三第一項前段の解釈適用を誤る違法をおかしたものというべく、その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は、この点で理由がある。

二  昭和五三年(オ)第二一六号上告代理人松井一彦、同中川徹也の上告理由について

所論第一点は、被上告人の富士建匠に対する本件請負報酬金債権三六一万円と富士建匠の被上告人に対する連帯保証債権二九〇万円とが対当額で相殺され、被上告人の右債権は七一万円の限度で残存するにすぎないものとした原審の認定判断につき狭義の弁論主義違背をいうものである。そこで、この点につき検討するのに、記録によれば、上告人の昭和四八年三月七日付準備書面(第一審第二九回口頭弁論期日において陳述)において、上告人は、富士建匠が被上告人に対し三四一万円の請負報酬金債務を負担していたとしても、これより先に玉工事の富士建匠に対する債務の履行期が到来し、かつ、その返済がされていない事実からみて、富士建匠は被上告人に対する右債務を適法に免れるものである旨を主張していることがうかがわれる。しかしながら、相殺は、両債権が単に相殺適状にあるのみではまだその効力を生ずるものではなく、当事者の一方が相手方に対し相殺の意思表示をすることによりはじめてその効力を生ずるものであるところ、上告人の右主張はその相殺の意思表示がされたことについてなんらふれるところがないから、他にこれを主張したものと認めるべき特段の事情がない本件においては、原判示の相殺の主張があつたものとはいい難い。してみると、所論の相殺に関する原審の認定判断は、当事者の主張がないのにされたものであり、狭義の弁論主義に違背し、右違背が原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は、この点で理由がある。

三  叙上の次第で、原判決は破棄を免れず、更に審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻すのが相当である。

(裁判長裁判官 服部高顕 裁判官 江里口清雄 裁判官 高辻正己 裁判官 環 昌一)

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